nemo to memo

描く、ときどき想う。

2020-01-01から1年間の記事一覧

今年最後に想うこと。

大切な人に会えなかったり、行きたい所に行けなかったり、見てほしい人が逝ってしまったり、取り巻く状況が刻々と変わった一年でした。 つくづく周りあっての自分であったと想います。その反面、自分そのもので何ができるか、何をすべきか、も考えさせられま…

キキせまる?

明日から休み、うれしーーーの前の日。ここが肝心である。明日からやるぞーーー! 翌日、すっかりキキ迫るものは消え、まったりとした時間が流れる。 今回は、やってやりました。とにかく、眠る前に、今、描く、、、 成果はともかく、動いたことは確か。

「感性」とは、、、

「感性」とは何か、、、と話をしました。ものづくりに必要なもの。その人は、心を揺さぶられる経験があるかないか、といいました。考えてみる。。。 「ある」か「ない」か、だけかな。

車は快適にくらす道具。

運転なんて無縁だと思っていた私が、ジョンレノンを聴きながら、一人家路に向かうとは。。。コロナ禍で広がった「可能性」もある。絵を描くときとは反対の注意力。代わりに、なにか失ってやしないか?

catch and release

朝、大好きなアーティストがTVにでていた。 日々のお仕事の流れの中に、10分だけ絵を描く時間ができた。 それだけで今日一日、得をした気分になる。 あいまいなこの感じ、、、逃がすには惜しいなあ、、、行かねばならぬ、、、

うつろう景色

ときに宝の山であったり、どうしようもないの集積になったり、、、と、変化するアトリエの絵々。それとも、変化しているのは、自分の方なのか? 日々の出来事や音楽や人の言葉、周りのさまざまに影響され、ゆりうごく。 ゆれうごくままに重なって、できてゆ…

都会の森

完全武装で夢をみてきました。。。 都会の森は、けして汚れてはなく、むしろ澄んで、ひっそりと、苔むして、画廊の中に生息していました。(藍画廊の若宮綾子展) 世界は変わってはいないのかもしれない。。。

出現。

おそらく、止まってはいないのだ。 うごいている電車の窓にみるように。 みているだけではうごかない。 自分が「動く」しかない。 わかっているのだけど、、、。

柳緑。

何だか久しぶりにこんな景色みると、わくわくする。

ほんとの明日のために。

私は、明日のためにだけ生きているのではない。 今のために生きている。 いつも不完全燃焼で今日をおえてはならない。 明日のために、とセーブをかけてばかりいると、 解放するのがこわくなる。

たくさんの今、

静止した画面に、何を期待していたのだろう。。。 けっきょくは、今しかできないことをどれだけおいていくか、ということにつきる。 何で今なんだろ、、、?

タレルの窓。

アトリエのカーテンをはずしました。なんともいえない開放感。空間が変わる。 光の芸術家、J.タレルの作品にはおよびませんが、自宅でできるお手軽スイッチ。

I am HOUSE -51-

コロナ禍で、どこにも行けない住人が、TVで2000万円の絵画をみていいました。 自分だったら、HOUSEの絵の方が欲しいと。 私はこの言葉で、まだまだ絵が描けると思いました。 絵画にはこたえがひとつでないところが魅力なのだと思います。

時間のいろ

いろいろなことを考えすぎてもやもやする時、全ての答えはないのかもしれない。 大切なことはなんなのか、小さなひとつをみつめれば、全ては明らかになっていく。 スイッチひとつで時間の色は変わる。

車のきもち。

きのう、教習所を卒業しました。うれしくも名残惜しい、、、 ブレーキもアクセルも、PやDの意味も、道路の標識もわかるようになりました。ひとつの言語を修得したような感覚です。

平静に。。。

驚きや哀しみに ひっぱられずに なるべく平静に

スキマ時間

久しぶりのほんとのスキマ時間。忙しい充実時間にはない心地よい浮遊感。ここにこそ、創造の原点が宿るような気がします。このもぞもぞ感、はがゆさ、どこにも属さないからこその。

エアプランツ

ふと気づけば、今年になって、市外にでていません。。。 動くのがこわいです。 今、どうしても見たい個展があります。どうしたらよいのでしょう。 会いたい人がいます。そんなに待ってくれますか。 エアプランツも水がなくては生きていけません。

不可能を可能にする方法

人生半分経ってしまったので、今まで自分にはムリ!だったことをあえてやってみることにしました。半分はやる気、半分は努力。こんな単純な仕組みだったとは。。。

未知と無知

アクセルとブレーキの区別もつかない私が、車の免許を取ろう!と一念発起。 ずっと、知らないから怖かった。正しく知ると、巨大なメカは大きな道具となる。 世の中、まだまだ知らないことだらけ。

自然と不自然

自然って意外と不自然。

時計のとれた跡、むき出しのコンクリート、昼間から人気のない小学校、ずっと廃校だと思っていた。夕暮れに、田んぼ道を散歩していたら、数台の車と灯がみえた。 スミマセン、こんな時期、主のいない城を守る先生方がいらっしゃるのです。灯がみえた。。。

GREEN POCKY

毎日歩いていると、時々、おもしろいものにでくわします。ただ歩いていれば、目的地に着いたり、戻っても来れます。これってあたり前?

みんなつながってる。

←昨年の夏、森美術館での塩田千春展の景。 大きなガラス窓を背景に、足元にちりばめられた小さなオブジェは赤い糸でつながっています。そして、眼下に六本木、都会のビル群がまるでおもちゃのように広がります。。。今、あえて想う。

あっけらかんと、ピンク。

「大雨が降って コロナもぜんぶ とけ落ちてしまいました とさ」 と思いたい。。。雨上がりの径には、つつじが、我も我もと密にピンク。 ピンクっていいな、と不覚にも思っってしまった、幸せな気分。

いつだって、失ったものは大きい。。。

不在になってはじめて気づくことの多いこと ”あたりまえ”という催眠でマヒしてはいけない 穴があいてしまう前に、手だてをしなくては

こんなにきれいなのに、、、

久々のしごと場に咲いてました。すごくきれいなしだれ桜。誰にもみられることなく。 信じられないことばかり、起きてます。「なんでもない一日が、特別な一日」という朝ドラの言葉がしみじみとよみがえります。

ほんと忘れんぼう。

肝心なことにきがついた。描きかけの画面へのアプローチ。ひらめきが降りてくるのではなく、わからないから描きひらいていくのだ。まてどもまてども進まないわけ。すこしの勇気と無謀さを。

描くことはできる。

銀座の画廊へも行けず、美術館・映画館巡りもできず、とぼやいている状況も過ぎ、世の中、目に見えないものにおびえる日々。。。今なにができるかといえば、絵描くしかないかな。見えないものを描きたいと思う人間が、こういうときどんな絵をかくのだろう。…

OKURA BOX

片付けをしていたら、懐かしい作品も出てきました。木製パネルに直に描いて、彫って削って、、いろいろ試行錯誤でした。